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ベリーダンスは男の人も踊るのでしょうか?

踊ります。踊っています!ベリーダンスはセクシーな女性が踊るイメージが多いのですが、男性のベリーダンサーもいるんです。

ベリーダンスの世界では、男性がいつ、どこでこのダンスを踊り始めたか…?!ということがよく論議の的になっています。多くの人は男性がこの芸術様式に占める場所などなく、歴史的に見ても女性のダンスであると言う誤った認識をしばしば信じているからです。しかし、モロッコのダンサー(カロリーナ・ヴァルガ=ディニク)やタリク・スルタン、ジャスミン・ジャハルというダンサーたちがそれとは逆の答えを見事な踊りによって証明しています。

中東をルーツとしない多くの人々はプロのナイトクラブ・ダンサーに関してはよく知っていますが、彼らの踊りそのものに対しては「ダンスのルーツとなった地域においてはダンスの活動的な側面など僅かな一部分でしかない」とみなしています。実際、多くのダンスが男女間の社会的なつながりと、とらえています。子供の頃の他愛のない観察や「大人ごっこ」を通じて人はそれを学ぶ。現代のプロ・ダンサーはもっぱら女性がその主役の座を独占していますが、そのようなケースだけではダンスが女性本位のものである事を示せないとする多くの証拠が存在しています。

トルコに存在する細密画は「絵の証拠」であり、オスマン帝国の成立中にはキョチェク (Köçek) と呼ばれる若い男や少年のダンサーたちが公演していた様子が描かれています。キッチョクは大変良く知られた存在だったので、実際に帝国のスルタンが女性ダンサーの一座に加えて男性ダンサーの一座を雇っています。男性ダンサーは広がるようなフラムボヤント・スカートに身を包んで踊りを披露したため、女装しているものと長らく憶測されてきました。しかし、女性ダンサーと比較しても、この衣装は(女装が目的ではなく)織物の渦巻き文様によってドラマティックな効果を引き出すために着用されているにすぎない、と思われます。女性ダンサーはこの時特別な衣装を着てはいませんが、全ての女性が「ハーレム・パンツ」とロングスカートの服装に、ベルトかショールで風になびくローブを腰の辺りで留めてぴったりとしたベストをはおっています。普段通りのドレスを着ています。それにもかかわらず、このうちの何人かの男性ダンサーは女装をしているようにも見えます。おそらく、ダンサーは音楽家や役者と同じように、それほど単純な役割分担だけではない。ということが理由に挙げられます。それはシェイクスピアの時代と同じように、女性が公共の場で役者を演じることが許されなかった時代では全てのドラマティックな役柄を男性が演じていたからです。

当時最高と謳われたダンサー一座が、そう言った慣習をしばしば破ろうと奮闘した事は有名な話です。その時代のうねりは1830年代の終わり頃までそのようなパフォーマンスを禁じられてきた当然の結果として、しばしば巻き起こっていました。結果としてダンサー一座は劇団名を上げることはできましたが、その頃にはオスマン帝国は斜陽を迎えたため、それと共に押し進められた近代化と西欧趣味を取り入れることによって、他の帝国やエジプトなどと同じようにイスタンブールの彼らのパフォーマンスの衰退を導いていきました。その波は、「観光客の希望」のため…と言う大義名分の下、男性ダンサーが本来占めていた場所を女性ダンサーに取って代わられる事態を押し進めていくことになりました。コチェック・ダンサーは今でもトルコの田園地帯や、特にカスタマンズ地方でまだ見ることが出来ます。彼らはテレビのバラエティ・ショーやDVDに出演することでトルコ中にその存在をアピールし始めています。

アラビア地域でラクス・シャルキーと呼ばれるダンス様式の、現在の「プロフェッショナル・バージョン」は1930年代にエジプトで生み出されました。女性的で優雅な美しさとグラマーさの理想的な形式を表現するために、細心の注意が払われた形式となっています。男性ダンサーもまた、ラクス・シャルキーの発展からはやや水を空けられたようなシーンになっていますが、踊り続けています。振り付け師として、ダンス教師として高い名声を得ているダンサーとしてはイブラヒム・アーケフ(有名なダンサー、ナーイマ・アーケフの従兄弟に当たる)やマハムッド・レーダ(エジプトで有名なレーダ劇場のダンサー一座の創設者)などがいます。

男性ベリーダンサーによるダンス形式の現在の流行は、イブラヒム・ファラ(ベンシルバニア生まれのレバノン系アメリカ人)、バート・バラディン、ジョン・コンプトンや他何人かのダンサーやダンス教師によって1960年代から1970年代に掛けてのアメリカで始まりました。今日、男性ベリーダンサーはアメリカのみならず世界各国でその姿を目にできるようになり、もちろん日本でも男性ベリーダンサーはいます。彼ら、現代のダンサーたちはギリシャやトルコ、レバノンやエジプトと言った中東文化の色濃い地域にも出現し始めています。多くの男性ダンサーが社会的な挑戦と同じレベルで、芸術的なアプローチにも向き合った活動を繰り広げています。さて、衣装の違いや振る舞いの違い、そして男女ダンサー間での議論の対象となっている男女ダンサーに存在する振り付けのダイナミズムの違い、そう言った問題は「存在している」のか「存在する問題として捉えるべき」なのでしょうか。

ベリーダンスについての最近のブームで興味深いもののひとつとして、新世代の男性ダンサーが「(女性の)様式」をよく取り入れていることが挙げられます。男性自らが女性ダンサーと対峙になり踊る人として比較する向きは未だ少数派ですが、20年ほど前から彼らはその数を劇的に増加させています。ほとんどの現代のダンサーや熱狂的なファンはその事に気付いていませんが、歴史的にも文化的にも男性のダンスの方が女性のそれよりも先に存在しています。多く男性ダンサーがベリーダンスに入った理由にはいろいろあります。男性の妻やガールフレンドがダンサーであったりダンスを習っていたりとしていている環境の中で、男性自らの創造性を楽しんで表現するのに適していると考えているからがその理由で、正統性のある芸術様式やそれに類する芸術として皆に親しまれているダンスであると考えられているから…などの理由があります。女性ダンサーと共に踊る者として、多くの「新世代」男性ダンサーが舞台上ではひとつの芸名を名乗っています。

1970年代前半のアメリカやラテン・アメリカ圏で良く知られた男性ダンサーとしてはバート・バラディン、ジョン・コンプトン、セルヒオ、オラシオ・チフェンテス、アミール・オブ・ボストン、アダム・バスマ、イブラヒム・ファラ、ジョシュリィ・シャリフ、アジズ、カマール、アミール・サリブ、ジム・ボズ、そしてタリク・スルタンが挙げられます。彼らのうち何人かはアメリカ生まれであり、他にも中東やヨーロッパからの移民の人たちがいました。例えばアダム・バスマはロンドン生まれです。ジョシュリィ・シャリフ(エジプト生まれであり、1990年代初頭にアメリカへと移住してきた)はレダ楽団のメンバーで、当初はエジプト国立舞踏楽団のメンバーでした。マハムッド・レダが指揮し、エジプトの体操オリンピック代表選手だったメンバーで構成されるレダ楽団は既に40年以上に渡って活動を続けています。地球上に存在する他の男性ベリーダンサーはこのダンス様式に衝撃を受けることとなりました。特に、現在はドイツに移住し自らのバレエダンサーとしての知識を背景に、中東舞踏の様々な形式にバレエ様式を吹き込むダンスを創造し、ダンサーの性別を問わず大きな衝撃を巻き起こしたオラシオ・チフェンテスがその筆頭として挙げられます。

ニューヨークのタリク・スルタンはダンスにおいて男性が果たした歴史的役割に付いての文章を刻んだことにより、大きな貢献をもたらしています。彼の文章で「Oriental Dance, it isn't just for women any more」はこのテーマに関して歴史的かつ文化的な性格を備えた、正確無比な文献のひとつとして挙げられるでしょう。「Choreophobia」の著者であるアントニー・シェイ博士も「The Male Dancer」と言う自らの著書の中で、『ダンスとはまさに女性のものであり、男性ダンサーは女性ダンサーの模倣に過ぎない』と言う作り話の打破に挑んでいます。シェイ博士は、中東のベリーダンス・シーンにおいては男性が社会的なレベルのみならずプロフェッショナルな舞台の上でも同様に、現在も活躍している事を示すために歴史的かつ文化的な論拠を著書内で提示しています。紅海のリゾート地、シャム・イル・シェイクで活動するエジプト人男性ダンサー、チト・セイフは世界でもずば抜けた技術を持つダンサーである、と言う認識を勝ち得ています。

ベリーダンスを「女性の力を表現するもの」として捉える人々や、ダンスをプロフェッショナルな「女性の仕事」として捉える人々で形成されるコミュニティから時折巻き起こる反論にも拘わらず、世界の男性ダンサーの多くはダンスを楽しみ、その理解を受けられるように日々、力をを尽くしています。