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ラクス・シャルキー

「ラクス・シャルキー」とはアラビア語で、「ラクス・シャルキー」を英訳すると「オリエンタル・ダンス」です。

オリエンタルとは、英語で「東方の」という意味です。そして、中東の国の人々にとっては、パキスタン、インド、東南アジア諸国、そして日本など、自分の住んでいるエリアより東の国にあるのがオリエント。

つまり「ラクス・シャルキー」は東方の踊りですね。「ラクス・シャルキー」発祥の地エジプトでは、バラディという庶民のダンス・スタイルとは区別されるダンススタイルです。

なぜ「東方の踊り」と呼ばれるかについては、いろいろな説がありますが、中東を世界の中心として東方と考えると、中東よりもっと東の国を思わせるような異国の踊り、ということかもしれません。

普通の庶民が踊るスタイルではなく、職業(プロ)ダンサーが踊る特別なスタイルで、庶民が趣味で踊るものとは全く違いダンサーが観客に見せるという目的を持った踊りです。

ラクス・シャルキーは性別を問わずに、通常はひとりで、観衆や個人的に坐っている人間を楽しませるために演じられます。そして、踊りは身体全体の筋肉運動です。運動によって表現される「語彙」を基礎に置きつつもその表現を踊りで表現していきます。音楽のリズムによってそれらの語彙を流動的に統合したダンスとされています。

踊り手(ダンサー)は「ラクス・シャルキー」で、音楽が人に思い起こさせる感情を内面にためることによって、その感情を表現します。最も尊敬すべきラクス・シャルキーのダンサーはダンスを通じて感情を投影できた踊りをする人です。たとえ、その動きの一つ一つがシンプルであってもです。音楽が観衆にもたらすリズムと感情を視覚的なレベルで伝えることが、ダンサーの目的であるとも言えるでしょう。

多くの人がラクス・シャルキーを官能に彩られた、成熟した女性の存在の力を表現するためのダンスとして観ています。ソハイル・ザーキー、 フィフィ・アブドゥ、ルーシーとダイナ、 と彼女達はみなエジプトでは人気のあるダンサーたちであり、共通しているのが40歳以上ということです。この流派では、若い踊り手はダンスを通じて何かを伝えるにはあまりにも若いので人生経験が乏しいから無理。と考えているようです。

現在、世界のベリーダンス界で踊られる「エジプシャン・オリエンタル・ダンス」の原型は、20世紀のはじめ、エジプトでBadia Masabiniが生み出したスタイルです。

Badiaこそがラクスシャルキーの生みの母といわれています。これはオリエンタル・ダンスの歴史に関するリサーチをしているダンサー達の間では通説です。

Badia Masabini はレバノン出身の元ダンサーでありカイロのナイト・クラブオーナーによって、1920年代に生み出されたのが「ラクス・シャルキー」です。

それまでダンスと言えばバラディスタイル(お腹も出ていないコスチューム)でしたが、お腹を出すブラとベルトスタイルのセパレート型コスチューム、オーケストラの生演奏、ステージ全体を使った振付、凝った演出や舞台装置などを取り入れ、華やかなショーを展開していきました。

当時のエジプトでは、お腹を見せるコスチュームはさぞ衝撃的な衣装だったと思います。綺麗なスパンコールで彩られたダンサーにコーラスダンサーもいたというので、今でいう「ハリウッド的」なショーだったと思います。今までそのような進歩的で開放的なクラブなどなかったので、それは大評判になったこととおもいます。もちろん高級ナイトクラブでしたので、お客さんも特権階級でした。

それがエジプト映画を通してエジプト映画を通じてアラブ周辺諸国(モロッコ・レバノン・湾岸諸国)にも広まり、それぞれの国でアレンジされたスタイルが発展していったようです。(エジプト映画の黄金時代は1960年代まで)

そして、エジプトスタイルのベリーダンスは、サーミア・ガマールやターヒヤ・カリオカ、ナーイマ・アーケフと言った伝説的なベリーダンサーたちが創り上げてきた基礎に基づくもので、他のダンサー達はエジプト映画産業の黄金時代と現在も褒め称えています。彼女たちの創り上げた基礎を部分的に継承した後発のダンサーとしてはソハイル・ザーキー、フィフィ・アブドゥ、ナーグア・ファドが挙げられます。1960年代から80年代にかけて活躍した彼女たちは現在も高い人気を誇っていて、今でもほとんど変わらない名声と影響力を得ています。